御嶽訴訟の判決文(2) ― 2022年08月31日 11:27
3.警報は個々の国民の生命・身体を保護すべき法的な義務を担っているか
国は次のように主張する。
「法の定めによれば、法13条1項にいう予報及び警報は、(中略)第一次的には、気象庁火山課の職員に対し、不特定多数の一般公衆に周知させるべく、地象等についての情報提供を義務付けるにとどまり、直ちに、個々の国民との関係で、その生命又は身体を保護すべき個別具体的な職務上の法的義務を課したものとは解し難く、(中略)このことは、噴火警戒レベルに応じて警戒区域への立ち入りを制限・禁止したり、警戒区域からの退去を命じたりするのはあくまでも当該地域の市町村だあることからも裏付けられる。」(判決文p.15)
これに対して裁判所は、
「噴火予報等と噴火警戒レベルが、噴火時等にとるべき防災対応との関係を明確化し、市町村長に対し、火山活動の状況把握や迅速な避難指示等の発令を支援するものとして、気象庁と周辺自治体との調整を経て導入されたものであり(前記認定事実(2)ア、イ)、気象庁と周辺自治体の協議内容が周辺自治体の地域防災計画に反映されないと噴火警戒レベルが導入できないとまでされていること(要領6条1項)等に照らすと、(中略)気象庁の行う噴火警戒レベルの引上げ及び噴火予報等の発表は、単に公益を保護することによって反射的に国民の生命又は身体を保護するにとどまらず、個々の国民の生命又は身体を災害から保護することまで目的とするものであるというべきである。」(判決文p. 68)(筆者注:引用文中の「反射的」は、日常的な語句に直すと「間接的」に置き換えることができる。)
と述べ、噴火警戒レベルを運用する以上は、気象庁は国民の生命・身体の安全に責任があることを明確に示した。この判断は、争点(1)が審理の対象になることを保証したと言えるだろう。
4.警報の効果の希釈化はあるか
国の二つ目の主張は、
「警報をしたものの噴火が発生しない事態が続発すれば、警報自体に対する信頼性を損なうことになりかねず、かえって警報による警告の効果が希釈化されることににもなりかねない」(判決文p. 15)
である。これに対する裁判所の判断は、
「このような問題は、(中略)一般への周知、啓蒙により解決すべき事柄であって、警報の効果の希釈化を考慮して警報の運用を慎重にせざるを得ないとすれば、気象庁火山課の職員に、必要かつ最低限の場合のみ警報を発表することを求めることになりかねず、無理を強いるものであって相当でないから、被告国の上記主張は採用できない。」(判決文p. 84)(筆者注:「相当」という語句は裁判でよく用いられるようだが、普通の語句に置き換えるとすれば、上の文脈の場合「ふさわしい」でいいだろう。)
と、これも明確に退けている。
この二つ目の争点は、住民の避難を命じる立場にある市町村長がいつも直面する問題である。避難指示が空振りに終わることを恐れて、躊躇している間に災害が発生し、避難指示が災害発生の後になることがしばしばある。ここでの裁判所の判断は筋が通っていると言えるが、各自治体の長としては、ではどうすればいいのだ、と言いたくなるかもしれない。しかしながら、選挙で選ばれた自治体の長は、そういった重い責任を負うことも含めて、住民から判断を負託されているのである。そのような負託とは無縁の気象庁が、避難とリンクした噴火警戒レベルを発出するところに、そもそもの問題の根源があるのかもしれない。
そういった火山噴火警戒レベル自体の問題について、審理の初期の段階で原告ら代理人の一人に話を向けてみたことがあるが、国賠訴訟ではそういう問題は扱わないと、取り付く島のない返答だった。火山噴火警戒レベルがあることを枠組みとして、審理を進めるという方針だったのだろう。
(この稿続く)
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